歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

『城の崎にて』に思う

どういうわけだか、私は、志賀直哉の『城の崎にて』を再評価している。これまで、何度も授業をしてきたが、自分自身が生や死の本質に迫れないでいたため、この作品の世界をつかみかねていた。

高校卒業を控えた生徒たちに、あえて「死」を単元として学習している。死を考えることは、どう生きるかを考えることにつながるからだ。その一環として、高校1年生の授業で読むことが多い『城の崎にて』をこの時期に読んでいる。生徒たちには、是非、かけがえのない自分の生を大切にしてほしい。

「自分の人生だから、自分の意思でどのように生きるかを選択できる」というのは、単なる道理で、実際とは異なる。私自身はこのように、どこか冷めた感覚で生をとらえている。最近いっそうその傾向に拍車がかかっている。

「偶然に左右されてしまう、生き物の生」を『城の崎にて』は描く。自分自身の生であっても、自分の意思のあずかりしらぬところで人生は左右されてしまうという側面をもつことは、高校生であっても看破している。だからといって、絶望のうちに一生を終えるのも違うということも知っている。

文学は道徳を教えるものではない。人間や世界の本質を表現するものだ。『城の崎にて』は生死の本質を突いている。偶然に左右される生ではあるが、そんな自分の生をどうしたら肯定的にに生きて行けるかを考え続けることが大切なのだと、今のところは思っている。