歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

書道パフォーマンスと表現

 高校生の書道パフォーマンスを観ました。大型ショッピングモールの新春イベントとして数年前から行われていたのですが、私はこれが初めてです。率直に言って、踊りや掛け声の必然性が感じられず、ただ、表現者の意図ばかりが目についてしまうような印象を受けていたので、観に行こうという気がおこらなかったのです。

 今日は3校がパフォーマンスを披露しました。やはり、「この動作や掛け声は必要なのだろうか?」、踊りのための踊り、掛け声のための掛け声で、書の内容や、書く動作との関連が感じられないものもありました。その一方で、自然と目の前で一つの作品が出来上がっていく過程に見入ってしまうパフォーマンスもありました。

 表現というものは、等身大の自分が表現されるということが肝心なのだということを改めて気づかされました。他人の歓心を買うことや、他人の評価を旨としたものは、見栄えがよいものではあってもどこかよそよそしい感じがしてしまいます。その半面、粗削りであっても等身大の自分が表現されたものは、説得力があります。コンテストなどではどうしても審査員の評価を意識せざるを得ないところもあるのでしょうが、そのような表現ばかりではなく等身大の自分をぶつけるような表現をすることも重要だと思います。

 入試の小論文指導においても、「このような内容で書け」というような指導をする教員がまだいます。拙いところはあっても、高校生の問題意識を掘り起こし、それを適切に表現する方法を教えることこそが、小論文指導の肝だと思います。大学入試が大きく変化していくなか、生徒には表現力がいっそう求められています。教師は様々な表現に触れ、表現するとはどういうことかを熟考する必要に迫られていると思います。