歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

実践の理論と哲学

 今月の18日.、19日に日本文学協会(日文協)の大会に参加しました。18日に行われたシンポジウムでは、文芸教育研究協議会(以下、文芸研)の理念、理論が報告され、日文協の〈第三項〉理論のとの相違点や共通点が検討されました。日文協の会員としては日の浅い私にとっては、学生時代に触れた文芸研の理論や実践のほうがどちらかというと馴染んだ感じがしたことを白状します。〈第三項〉理論はどこか自分にはまだ理解できないところがあります。まず、何と言っても言葉が厳つい。文芸研の方が、「日文協の言葉は大袈裟で、分かりづらい」とズバリと指摘され、快哉を叫びたくなるような気持ちになりました。

 大会参加のレポートを職場に提出しました。国語科の教員で回覧し、中にはレポートをじっくりと読みたいのでコピーが欲しいと依頼してきた若手もいて、実践を支える理論に飢えている教員もいるということに一筋の光明を見出だすような気持ちです。

 それ以上に心を揺さぶられたのは、副校長(数学科)が、〈第三項〉理論は難解だと悪戦苦闘する私に、何人か哲学者の著作を紹介して下さったことです。この副校長は読書家で、書店に行くとよくお会いします。…「結局、ここから始めないといけないんだな」と私は感じています。教壇に立ったばかりの頃も、理論を追究していくと、結局は哲学に行き当たったのでした。「認識とは」、「存在するとは」など、根本的な事柄について理解を深めようとして、哲学書を読んだものでした。

 日常生活で、即、役に立つというわけでは決してないかも知れないけれども、自分が自分の足で前に進んで行こうとするとき、哲学は自分を支えてくれるものです。哲学に限らず、文学を含めた人文科学はそういう性質を持った学問です。

 副校長に進められた哲学書を書店に注文し、手もとに届くのを待っているところです。