歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

文学を語れる嬉しさ

 研修で上京したのを機に大学時代の恩師を訪ねました。体調がすぐれないように伺っていたので、あまり長居しないようにしよう(1時間でおいとましよう)と思っていたのに、気がついたら3時間も話しつづけていました。本当は、これから取り組もうと考えていることについて御意見を伺いたかったのですが、それは次の宿題です。きっと先生に指摘されるに違いないと覚悟していた、このブログの誤字の多さもしっかり注意されました。

 文学が政治や体制と関わることの恐ろしさを経験した世代とそうでない世代とで意識のズレが見られるように思います。例えば、戦争を扱った教材は国語の教科書に必ず収められていますが、それは戦争の事実を伝えるためです。さらにそれは、児童生徒が正しく判断できるようにするためであり、反戦か否かのどちらの立場立つべきかと迫るためのものではないと思います。極端な例では『平家物語』を戦争と結びつけて論じたものもありますが、それは『平家物語』の文学性を支えている、「力いっぱい生きて、死んでいくという人間の姿を描く」というこの物語の魅力を損なってしまう気がします。

 私の拙い考えを率直にぶつけられ、そしていつでも本気で返して下さる恩師は本当にありがたいものです。同僚にも、羨ましがられます。先生にお会いするたびに、自分の人生はこれでよかったのだと思うことができます。