歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

小説教材の難しさ

 授業で小説を読むとき、「難しいなあ」と感じることがいくつかある中で、最も課題となっているのは語彙力です。評論文であれば、ある表現の説明をするときにせよ要旨をまとめるときにせよ、基本的には本文中の語句で述べることができます。ところが小説の場合、作中人物の心情を言い表すのに、適切なことばが思い浮かばない高校生が確実に増えています。

 生徒自身にも、このことは自覚されているようで、「何となく分かるけど、それをどういう言葉で表現してよいかに困るんだね」と生徒に問いかけると、大きく頷いています。かく言う私も、「これが本当に作中人物の心情を過不足なく言い当てているのだろうか」と自分の表現に自信が持てなくなるときもあります。

 自分が経験したことしか言葉で表現できないというのでは困ります。自分が直接経験できることには限りがある。それを補うことが可能になるのが文学作品を読むことだと思います。となると、授業の中で文学作品をとおして心情を擬似的に体験させ、それを言い表す言葉を教え、自分の言葉として生徒に身につけさせることは大切な営みだと改めて感じるのです。

 漱石の『こころ』のような定番教材であっても、「指導書」の解説は教科書会社によって少しずつ違いがあります。「指導書」が「正解」ではないということを私たちは常に自覚し、自分の責任で作品を解釈する姿勢を持ち続けたいものだと思います。