歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

漱石の『こころ』を読むにあたって

 夏目漱石の『こころ』は高等学校の現代文の定番教材です。私はこの小説を授業で読むのが恐いのです。教員となって初めて授業を受け持った生徒とともに、『こころ』を読みました。その生徒たちのうちの一人が、大学進学後、自ら命を絶ちました。その枕元には漱石の『こころ』が置いてあったそうです。もちろん、高校時代の授業が引き金になったわけではありません。原因として考えられることに、『こころ』が関係してはいません。けれども、『こころ』との出会いが、私の授業であったとしたらと思うと、どうしても自分を責めないではいられませんでした。

 しばらくは、授業をすることそのものにも恐怖を感じていました。それは徐々に克服できたものの、『こころ』を授業で読むことができない時期が続きました。現在も、恐怖心と向き合いながらの状態です。

 思えば、私自身も、学生時代の一時期に、死に惹かれる頃がありました。しかし、ある日の夢に、長年癌を患った末に亡くなった伯父があらわれ、「人間は生きているだけで美しい」とだけ告げて消えていきました。本当に不思議な経験でしたが、それ以降、死を思うことはなくなりました。このような経験をしているから、救える命はきっとあると思うのです。

 教え子の死に直面し、根本的なことを決しておろそかにしてはいけないと学びました。現実の世界では命が最も大切なんだということを、繰り返し、いろいろな形で伝えていくことしかないのだと信じてやっていくしかない。言葉だけではだめで、自分の生き方でそれを示していかなければ。

 若い先生方には、必ず自分のこの経験を話します。そして、授業における読みは、小説世界の登場人物に同化する読みをよしとしてはいけないということも説きます。『こころ』も、命は何より大切であるという現実世界の大前提があるからこそ成立する物語なのです。

 先日も、作品と生徒とを出会わせる役割の重さについて述べました。教師としての実践が、次世代の命を輝かすことにも、命をおろそかにすることにもなるという責任を忘れないでいたいと思います。