歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

農村の変化

 先週末に、30人ほどが小さな神輿を担いで歩いているのを見かけました。稲刈りを終える時期なので、秋の収穫に感謝するお祭りなのでしょう。年齢層は様々でした。印象的だったのは、神輿の後をついて歩く人の姿でした。スマートフォンに見入りながら歩く母親らしき人が複数いて、「おつきあい」で参加しているんだろうなあと推察しました。そのことについて、けしからんとせめたてる気持ちは全く起こらず、むしろ感心に似た気持ちを覚えたほどです。

 稲作が産業の中心であった時代には、秋の収穫を感謝する祭の意義は共同体にひとしく認知されていたのでしょう。けれども、仕事も生活スタイルも多様化した現代に、このような祭を継続していくことは相当に苦労が多いことだろうと思われます。おそらくは、多様化した時代だからこそ、共同体のメンバーの結び付きを確認したり、形成したりする機能を期待して、地域の祭は引き継がれているのでしょう。それは共同体意識を形成することが難しくなっていることの表れとも言えます。

 農村の変化は様々なところに見受けられます。稲刈りがなかなか進まない一帯があり、事情を聞いたところ、水田所有者が高齢化して自分で農作業ができないため、他の人に頼んで稲刈りをしてもらわなければならないが、引き受けてくれる人が限られているのでなかなか稲刈りが進まないのだ、ということでした。

 祭も水田も、先祖が大事にしてきたものを自分たちの代で絶やすわけにはいかない、という思いが共通してあります。しかし、それも限界に近づきつつあるように思います。祖父母が元気に働いていた頃の、農村の豊かな生活を知るものとしては、気持ちが沈んでいくような秋を迎えています。これも身勝手なノスタルジアに過ぎないのですが。