歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

高校生のコピペレポートから考える

 高校生に夏季休業中の課題としてレポートの提出を求めました。テーマは研修旅行での研修内容に即して自分で設定し、A4版レポート用紙2枚以上、二つ以上の資料を用いるということを条件としていました。

 結果は、「コピペ」で字数を埋めたものがほとんどで、愕然としました。高校生にも、インターネット上でそれらしいwebページをさがし、検証もなしにコピペして体裁だけ整える術が定着していることを確認しないではいられませんでした。テーマに応じた参考文献を紹介し、図書館にそれらを置いたコーナ設置したにもかかわらず、書籍を読んでレポートを作成した生徒はあまりいませんでした。(5年前はコピペ派の方が少数派でした。)

 それ以上に深刻なのは、自分の意見が述べられないということです。感想すら述べられないものもかなりあります。このことは、日頃から感じていて、危機感を覚えます。「答え」がつねに自分の外のどこかにあって、それを探して見つけるような行動様式が、思考様式とほぼ一致してしまっているような印象です。「教育の情報化」が情報通信機器の活用で手一杯で、理念や目的が十分に理解されていないことも背景の一つとしてあげられると思います。現状では情報通信機器は情報を検索、収集するというところにとどまってしまっているのかもしれません。一方では、インターネット上には他人を誹謗中傷するような内容の書き込みもあり、大きな問題です。インターネットの匿名性が、無責任な発言を生み出しやすい環境となっているのでしょう。

 当然、どのような文脈で自分の考えを述べるのかということも大きく作用していると考えなくてはいけません。

 大学入試が、基盤となる知識を身につけた上で、自分の考えや意見を求められるものになる流れです。大学入試が変われば、学習も変わると言われます。自分の責任で自分の考えを述べるということは、発言する本人だけでなく、受けとる側にも他人の考えを正しく受け入れる訓練が必要だと思います。実は、我々大人が、それができていないということも認めなければならないと思います。

 自分の意見を相互に述べあうことは建設的な行為であるということをが実感できるような経験が、次世代を担う子どもたちには必要です。そのような経験が多くできるような場面をつくっていかなければならないと、自分の責任を感じます。