歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

最後の米

 今日、コイン精米機で米をつきました。我が家で、こうして、玄米を精米して食べるのもおそらくこれが最後になると思われます。

 私の両親筋も数年前に稲作をやめました。そのときの「退職してからでもいいから、お前が米を作ってくれたら…」と遠慮がちに言った伯父の姿が忘れられません。また、義父は稲作に情熱を注ぎ、コンテストに出品するほどでしたが、採算が合わない状態が続き、2年前に稲作をやめました。その後、みるみる衰える姿を目の当たりにして、米作りは生活の手段ではなく、生き甲斐であったことを改めて感じました。

 本当に贅沢なことに、普段おいしい米を食べつけているものだから、外食した際には、ご飯の味が美味しくないと感じてきました。冷夏の影響で大凶作となり、タイ米などでしのいだ人々が多かった年も、変わらず米を分けてもらって食べることができました。

 今日精米したものは、義父が作った最後の米のストックで、本当に最後の一袋となったものです。

 田植えや稲刈りを手伝っていた頃が思い出されました。稲刈りの後の稲藁の匂いや、月夜に稲の花を見たときの感激などが、その時に五感が感じた感覚ともに思い起こされます。それと同時に、この国は何かとても大切なものを失いつつあるような気がして、恐ろしくなりました。

 伯父の打診に対する答えはまだ出せていません。「自分がやらなくては」と思う一方で、米作りがどれだけ大変であるかが分かっているから、そう簡単に答えを出すことができないのです。