歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

人の力になりたいと感じたとき

 人間関係というものは考え始めると結局何が正しいあり方なのかが分からなくなってしまいます。「親切」であるはず言動が、相手を不快にさせたり、他人に誤解されたりといった経験をすると、私なぞは積極的に人と関わることそのものに臆病になってしまいます。また最近では、見ず知らずの人から声をかけられると、「不審者」扱いされることもないわけではありません。

 しかし、困っている人をみると何か力になれることはないかと思わずにはいられないのも人間の性質の一つのようです。けれども、力になりたいという自分の気持ちを相手に伝えるのはとても難しいと私は感じてしまいます。

 大江健三郎さんの『節度ある新しい人間らしさ』という文章には、あなたが必要であればあなたに必要なことをする準備が自分にあることを相手に示す女子高校生の姿に、「不幸な人間人間対する好奇心が旺盛な社会」において「生活になじんだ新しい人間らしさ」を見たと述べています。そして、それを可能にするのは「注意深い目」であることを説いています。パターン化された行動や、自分本意な動機や衝動による親切ではなく、相手をよく見て、相手のニーズを把握する力が必要ということでしょう。

 目の前にいる人物であれば、相手を注意深く見守ることで、このようなことはまだ実践可能な気がします。問題は相手が目の前にいない時です。たとえば、病気などで長い間休んでいる人に、お見舞いに行くのがよいのか、手紙やメールなどで励ましてもよいのか、などと迷ってしまいます。あれこれ悩んでいるうちに機を逸してしまったこともあります。

 結局のところ、どうしたらよいのか分かりません。ただ、大江健三郎さんの文章を読んで以降は、人の力になりたいと感じたとき、自分本意な動機になっていないか、相手をよく見ているかを自分に問うことができるようにはなりました。このような自問自答の積み重ねにより人間関係が形成されるのかも知れません。