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行平と八上羽子板

 1935年に板祐生さんが著した「山陰の郷土玩具概見」には、「八上羽子板」のいわれを伝える伝説が紹介されていることは、先日記したとおりです。この伝説では、八上羽子板作り方を伝えたのは在原行平であるとしています。

 行平は、強賊を討伐せよとの文徳天皇の勅命をうけて因幡国にやって来たことになっています。行平が鬼退治をしたという伝説は現在も同じ土地に残っていますが、その立場は史実のとおり国司となっています。また、武内宿祢が命をうけて、因幡国にやって来て鬼退治をしたという伝説もあります。先行するさまざまな伝説が組み合わされているようです。

 強賊退治を果たせなかった行平は、仏像を千体作製し、その霊験によって強賊を退治したということです。これについても、鳥取県東部を流れる千代川の名前の由来を伝える伝説にも、行平が登場するものがありますが、その伝説とは、行平が仏像を千体作製したという点で共通しています。八上羽子板の起源を伝える伝説では、行平は仏像を作った余りの木材で12本の羽子板を作り、朝廷へ献上するとともに、その作り方を因幡国八上郡の人々に伝えたことになっています。

 因幡国に伝わる他の行平の伝説では、国司として行平が登場するのと異なる点、羽子板と行平とを結びつけた点に関心が引かれるところです。このあたりを探っていくと、因幡国における行平像がどのようなものであったかが想像されるようで、想像できない、そんなもどかしい思いです。

 昭和10年代はじめには、すでに八上羽子板はなくなってしまっていたようなので、その起源を伝える伝説が伝えられなくなったのもいたって自然なことといえるでしょう。しかし、私の想像力をかきたてる伝説です。