歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

文学の専門性と国語という科目

 高校生に「文学とはどのようなものですか」と尋ねてみました。予測したとおり、生徒たちにとっても難問であったようで、ずいぶん考え込んで、結局のところ定義できませんでした。

 学校のカリキュラムにある教科のなかで、国語ほど、大学で専門的に学ぶこととの乖離が大きいものはないのではないかと思います。特に、現代文の評論文などは、その傾向が強く、文学の専門性を要求されるものではありません。(たとえば、経済の問題を論じた評論文を、文学を学んだ者として、何を教えるのかという問いに、私は明確な答えを見いだせません。)

 文学の専門性が身についているか否かということは、何によって判断することができるのでしょうか。文学に関する専門的知識を有しているということはその指標の一つにはなり得ると思いますが、大学で文学を学んでいなくても文学に造詣の深い人はいくらでもいることを鑑みると、絶対的なものではありません。

 文学とは何かという問いは、何となく、分かりきっていることとして、過ごしてしまっているのではないかと思われてなりません。それが、何でもありの読み容認にも繋がってきたように反省されるのです。

 20年ほど前に、日本の語学学校で講師をしているロシア人と話をした折、「日本の国語という教科は何を教える教科なのか分からない」と指摘されました。彼は、日本の国語という科目は文学の教育でもなければ、語学でもないということが言いたかったようです。

 私たちは、甘んじてこの指摘を受け入れるべきだと思います。文学とは何か、そして文学を学んだ者の専門性について議論する必要を痛感します。