歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

短くなる夏休みと探究活動

 今年の夏は、珍しく、県外の研究会に参加することも、旅行に行くこともありませんでした。そのおかげもあって、例年になく時間的なゆとりがあり、これまでほとんど見向きもしなかった、故郷の文化や風土が持つ価値に気付くこともできました。そして、伝説や郷土の歴史にも触れることができ、「もっと知りたい」「本質をつきとめたい」という気持ちが、ひさかたぶりに自分の中に生じていることを認めることができます。このような気持ちを「探究心」と呼ぶのでしょうか。

 教育の現場では探究活動の充実がいっそう求められる流れがあります。そのことには基本的には賛成です。しかし、探究活動にはある程度のまとまった時間が必要ですが、子どもたちがじっくりと興味関心を持った事柄に取り組む時間が保障できるかどうかは、甚だ疑問です。

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 近年は夏休みが短くなる傾向があるようで、鳥取でも今週に夏休みが明けた高校が多くありました。私が高校生だった頃は、夏の高校野球全国大会終わって、夏休みも残り少なくなったことを実感したものです。また、学校週5日制となっても、実際には部活動に休日の時間を費やす高校生は多いです。自分の高校時代よりも、現代の高校生の方が忙しいと感じるのは私だけでしょうか。

 また探究心が芽生える端緒となるのは、生徒が主体性を発揮できる時です。その主体性を要求するのも、現在の大きな流れであります。自分自身の問題として、自分で考え、自分の責任で問題を解決することを要求するわけです。現実の世界では、問題が解決されなかったり、失敗に終わったりすること方が多い。「一生懸命に考えたけれども、何も分からなかった」ということもざらにある。しかし、探究活動では問題を解決することが暗黙のうちに要求されていて、「分からなかった」はただ「失敗」と評価をされて終わりということになりかねません。子どもも失敗しながらでないと真の主体性は身につかないと思います。しかし、現実は失敗には不寛容な社会であり、子どもにはできるだけ失敗しないように、大人が先回りして手引きしていることの方が多いのではないでしょうか。

 探究活動を推奨する一方で、教育現場での大きな課題が浮き彫りにされている気がしてなりません。