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在原行平と八上羽子板

 鳥取県には在原行平にまつわる伝説がいくつかあります。その中には、記念物がなくなるとともに伝承されなくなったと思われるものもあることは、先日も申し上げたとおりです。

 板祐生さん(1889-1956)は鳥取県西部の現南部町に生まれ、教師として生涯を過ごした人物ですが、多色刷りの孔版画で有名です。また、郷土玩具を中心としたコレクターとしても知られています。彼の作品やコレクションは、鳥取県西伯郡南部町にある「板祐生出会いの館」で見ることができます。

 この板祐生さんが、「山陰の伝説玩具概見」(1935年)という文章の中で、八上羽子板の起源に関する伝説を紹介しています。在原行平が八上羽子板を初めてつくり、その作り方を因幡の国の人々に伝えたという内容です。

 八上羽子板とは、旧幕時代に藩主の池田公が因幡国八上郡宮原から上納させ、藩士のうち女児の初正月のお祝いとして下賜したものだそうです。八上羽子板は板祐生さんがこの文章を執筆した時には絶滅してしまっていたということです。現代において、郷土玩具の一つとして製作されていた時期もあったようですが、現在では作製されなくなっています。

 この伝説は、昭和50年代にまとめられた伝説集の中には見られないものでした。八上羽子板がいったん絶滅するとともに、伝説も消えていったものと思われます。

 この伝説においては、在原行平国司として登場しないというところに、他の行平伝説との大きな相違を見出だすことができます。どのような伝説であるかということは、おいおいご紹介したいと思います。