歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

フィールドワークをとおして考えること

 フィールドワークをしていると、社会の変化を実感させられる機会に多く出会います。鳥取では少子高齢化、農村部で急速に進む人口減少を特に感じます。夏休みであるにもかかわらず、屋外で遊ぶ子どもの姿を見かけることはまれです。(今夏の猛暑では屋外で遊ぶことは危険なのかも知れませんが。)

 記念物の保護や継承には人の力が必要です。けれども、その「人」がいないのです。労働や生活様式が多様化し、地域内での連帯感も希薄になりつつあることも、地域の力を弱める一因となっています。地域の文化を守り伝えようとする取り組みが新聞などで取り上げられますが、それは、地域の文化の継承が困難になっている現状の裏返しと捉えられると思います。

 地域の活性化を語るとき、いかに産業をおこすかという観点で語る人が私の職場では多いです。しかし、そのような人はその地域を知らない。そして、その地域にどんな価値があるのかを見抜き、伝える力がない。また、産業や経済としか結びつけて考えることができない。人間は、お金のためだけに生きているのではないという本質が抜け落ちている。

 先日、鳥取市河原町にある多加牟久神社を訪ねました。車のナビゲーションにも登録されておらず、地名だけをたよりに探していた私に地元の方が声をかけて下さいました。多加牟久神社に行こうとしている事情をお話しすると、その方は少し驚かれたような顔をされたあと、喜んで経路を教えて下さいました。

 八上姫と大国主命が、嫉妬する大国主命の兄弟から逃れ、身を隠したところですから、簡単に行けるところでは都合が悪いわけです。集落を抜け、山道を20分ほど登り、脇道を入っていったところに多加牟久神社ありました。

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道からはその存在が分からないところに神社はあり、伝説の内容に相応しい特徴が認められました。これは、実際に足を運ぶといっそうよくわかります。一方で、お参りする人はあまりいない様子でもありました。

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 多加牟久神社はその特徴ゆえに、お参りすることが難しくなっているように感じます。車で行けないことはないのですが、駐車できるところがないため、地元の方は基本的に徒歩でお参りするそうです。山に登り慣れている私でも、きついと感じる傾斜の道を登って行くには健脚が必要です。社殿の維持、管理も容易ではないでしょう。

 文化の伝承についても、今後は人口が減少することを前提に検討する必要を感じます。価値がないと判断されたものは伝承されません。その「価値」が、単に経済や産業の視点で判断されることがあってはなりません。あくまで文化的な視点で価値が判断されるべきであることはいうまでもありません。

 私自身が価値が分かる人間となるため、まだまだ勉強しなければならないし、人間についての理解を深めていかなければいけません。また、次世代を育てるときにもそのような視点を持ちたいものだと思います。