歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

伝説と「記念物」

 伝説は具体的な事物(柳田國男のいう「記念物」)に結びつけられていることがほとんどです。山や川などの自然に対して、建築物や石碑など人為的な事物はそれが失われるとともに、その事物に関する伝説も失われてしまうことは仕方がないことと言えるのかも知れません。

 京都市下京区にある平等寺は「因幡堂」と呼ばれています。橘行平が因幡国鳥取県東部地区)から持ち帰った薬師如来像を御本尊としているためです。この薬師如来像が安置され、供養されていた因幡国のお堂は「座光寺」と呼ばれる寺院であり、薬師如来像を御本尊として今も鳥取市内に存在しています。京都の因幡堂はよく知られているのに対し、鳥取の座光寺は地元の人間もその名も伝説も知る人がほとんどいない状態です。そのためか、橘行平の伝説も鳥取では聞かれなくなっています。

 伝説や記念物を何が何でも残さなければならないとは、私は思いません。私が故郷の伝説に関心を持つ理由は、ノスタルジーに浸ることを目的とするためではないからです。伝説が残っていることも事実であれば、伝説が消えていくこともまた、事実として受け入れなければならないと思います。そう言いながらも、長年にわたって大切され、受け継がれてきたものが消失していくのを目の当たりにして感傷的な気分に誘われことは否めません。

 大切なことは、人々に受け継がれてきたものが失われてしまう背景や原因として、どのような社会や人間の内面の変化が生じたのかということを厳しく見ていくことだと思っています。