歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

分かった気にさせる言葉

 耳によくするので、何となく意味が分かったつもりになってしまう言葉が氾濫している気がします。最近では、「コンピテンシー」。「望ましい成果をあげることができる資質?」くらいに私は受け取っていますが、誰もが一義に理解できる定義はないようです。けれども、大学入試改革を議論したり、説明したりする文脈で最近特に耳にするようになりました。

 「キャリア教育」、「リテラシー」あたりも、分かったつもりの部類であり、それが何を意味するのかを厳密に定義できる人は少ないのではないでしょうか?このような例は外来語に限ったことではありません。たとえば、「国語の向上を図る」という表現が高等学校国語科の評価の観点としてあげられています。しかし、いったい具体的にどういう状態をもって「向上した」と言えるのか?

 日常生活においては、曖昧であることで人間関係やコミュニケーションを円滑にすることも大いにあります。しかし、上記の言葉は制度や教育の内容を語る文脈で使われていることを考慮すれば、曖昧なところは極力排除すべきではないかと思います。また、このような言葉は、「知っているのが当然」とばかりに、注釈なしでいきなり登場するため、それがどういう意味かを尋ねるのが躊躇されるような気がします。それが、「分かったつもり」にいっそう拍車をかけているところがあります。

 私は背伸びをする必要もなくなった齢に達したので、分かったつもりにさせる言葉を多用する人の話を聞くときは、「騙されないぞ」とついつい身構えてしまいます。反対に、自分自身のものとなった言葉を用いようとする人の話は、どんなに易しい言葉であっても、胸を打たれます。