歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

鳥取砂丘を歩く

 先日、砂丘周辺の石碑を見て回ったついでに鳥取砂丘へ行きました。年末に行われるイルミネーションは毎年のように行くのですが、日中に海岸線まで歩いたのは、学生時代以来です。岡山出身の友人に「鳥取と言えば砂丘」とリクエストされ、バスに揺られて来たことを思い出しました。「砂の美術館」をはじめ、飲食店や土産物屋が並び、賑わいをみせる福部砂丘を避け、人もまばらな浜坂側から海岸へ向かうことにしました。道路からは草の生えた砂丘が見えて少し幻滅していましたが、一歩砂丘に足を踏み入れると、目の前に広がる壮大な景観に目を見張りました。歩みを進めるごとに、景観が変化するのは、日本一を誇る起伏の大きさゆえなのでしょう。梅雨の中休みの晴天、しかも風が心地よく吹き、風紋ができていました。浜坂側は観光客が少ないためか、足跡で風紋が消されることもなく一面に広がるさまを自分の目で見たのは初めてです。海が見渡せる所で腰をおろし、しばらくの間、ただ目の前の光景に見入っていました。心には色んなことが去来しましたが、不思議とそれで心が乱されることもなく、落ち着いた気持ちになることができました。

 多くの文人たちも鳥取砂丘を訪れたことが知られていますが、中でも「浜坂の遠き砂丘の中にしてさびしきわれを見出でけるかも」の歌を残してこの世を去った有島武郎は有名です。有島の死後、砂丘を訪れる人が増えたのだとか。砂丘を見た有島は何を思ったのでしょうか、そして、砂丘を訪れた人は砂丘を見て何を思うのでしょうか。学生時代とは全く違った気持ちで、砂丘を後にしました。