歩いて、読む。

日々の雑感。ときどき、ちょっと文学。

用語によるイメージ 災害文学?

 昨年は鴨長明没後800年の節目の年であったためか、長明や『方丈記』に関する一般向けの書物がいくつか出版されました。その中で、「方丈記は『災害文学』である」という説明がなされているものがあって、現在はそういう捉え方が主流なのかな?と疑問に思いました。「災害文学」という語も耳慣れない語であったし、『方丈記』で描かれる厄災は、あくまで、人とすみかがいかに無常であるかを説くためのものだと考えていたからです。「災害文学」という用語は一般の人には、「災害を描くことを主題とした文学作品」という印象を与えてしまうおそれがあるのではないでしょうか。

 同じような疑問を、ある教科書に掲載されていた『平家物語』を「戦争文学」と紹介している文章読んだ時にも感じました。軍記物語は合戦を中心に描く、と授業では教え、教わることが多いのではないかと思います。けれども、『平家物語』は合戦を描くことをとおして、人が生きて死んでいくことを語るのが作品の魅力であると思います。

 「災害文学」、「戦争文学」という言葉を使うことで、古今東西の文学作品との比較が可能になるという側面もあるでしょう。その上で日本古典文学作品について新たな解釈が生じたり、特徴が浮き彫りにされたりするということも考えられます。実際にそのようなアプローチをされているものもあって、そういう場合は新たな気づきもあります。私が危惧するのは、学問的アプローチの方法としての用語と思われない場合です。専門的知識を持たない読者に「分かりやすいことば」としてこのような用語をしているのだとしたら、作品の本質を誤解させるおそれがあるという点を心配しています。

 以上は、専門的研究から離れた一般的読者の感想に過ぎません。学問研究の世界では、災害文学、戦争文学という捉え方をするのが主流なのでしょうか?勉強不足を露呈するばかりです。